column.BBS TANIGUCHI Seminar 01

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No.99 中川ひろつぐ

(27KB)
正月

 暮れは寒かった。そのため先延ばしにしていたMINIを
年明け早々洗車した。そして気付いたのだがタイヤに釘
が刺さっていて空気が抜けていた。その日は晴天。サイ
クリング日和だと勝手に意気込んで、家からかなり距離
があるカー用品店に修理用品を買いに自転車で出かけ
た。
 私は伏見を流れる新高瀬川の堤防を駆け抜けた。冬
のサイクリングもなかなか気持ちいいものである。あっさ
り修理用品を購入し、帰りも堤防を駆け抜けた。と、前方
に何か浮遊物を目撃した。なんだろうと良く見ると凧であっ
た。公園でとある家族が凧揚げをしていたのである。凧揚
げを見たのは本当に久しぶりでいささか感動してしまった。
その先でも凧が揚がっていて「そうだ、正月なんだ。」と改
めて思い知らされた。
 私も豆のように小さい頃は凧を揚げたものである。そし
てそうした頃はCMでも「凧揚げは電線に注意」というのも
あったのを良く憶えている。そうしたCMは最近ではまった
く流れていなく、凧自体も以前に比べてほとんど揚がって
いない。正月のスタイルが変わってしまったのだろう。
 ここ数年、私は正月を正月らしく感じなく、特別なものと
感じない。「あぁ、正月だなぁ」と思うことが少なくなった。昔
はそんなことはなかった。お年玉をもらえなくなったせいか
もしれないが、凧揚げを久々に見てそんな風に思った。
(写真には凧は写っておりません。)

05/01/09 22:03
No.98 田中知道

(17KB)

 
 京大市民講座にまた行ってきました。今回のテ−マは、「油をあじわう舌と脳のネットワ−ク」というものでした。農学部の先生が、油にやみつきになってしまうメカニズムをわかりやすく講義してくれました。 油脂は味覚ではありませんが、舌の味細胞でおいしさが感じられ、脳を興奮させるβエンドルフィンを分泌させ、やみつきになるおいしさを感じるそうです。脂肪のおいしさは麻薬的なので、脂肪のとりすぎが起こるそうです。 興味深かったのが、同じ油でも、カロリーのない油はやみつきにはならないということです。βエンドルフィンは、油脂のカロリ−を知らせる内臓信号で、カロリーのない油にはこれがないからです。
 またカロリ−をカットした油で売れるのは50%が限度みたいです。そういわれてみればマヨネ−ズのキュ−ピ−ハーフなど、カロリ−1/2の商品はよく見かける気がします。
 やみつきになるおいしさには油、甘さ、だしの3つで、日本人は昔(明治以前)は、だしがあったから、油がなくても生活でき、健康的だったのですが、現在は油を取ることが増えています。
 そういえば立命館大学にはないですが、他の大学ではマクドナルドがある大学もあるそうです。
 独り暮らしをしていると、つい手間のかからないお惣菜ばかり食べてしまいますが、体のことを考え、ほどほどにするよう心がけたいです。と言いつつ、マクドナルドのハンバーガ−無料引き換え券をこれから使いにいきます。期限付き、タダという誘惑には勝てません… m(_ _)m


04/11/27 21:32
No.97 田中知道

(14KB)
ゴミ
 写真は下宿にあるたまってしまった切り開いてない牛乳パックの山です。僕は牛乳と野菜ジュ−スをよく飲むので、少し油断するとすぐにたまってしまいます。でも決して燃えるゴミには出しません。意地でも全部切ってリサイクルに出します。環境デザインインスティテュートの学生の名にかけて。  でもゴミ捨て場を見るとリサイクルに出さず捨てられている牛乳パックが結構あります。ゴミにいたってはきちんと分別し、決められた日に出してあるものの方が少ないくらいです。
  思うにゴミの処理をちゃんとしてもあまり得がなく、いいかげんにしてもペナルティがないから今のような状況になってしまうのではないでしょうか。たとえばゴミの袋に名前を書くのを今のようにゴミをだす人に書かせるのではなく、ごみ袋を配るときに、最初から名前が書かれた袋を配る、という方法はどうでしょうか。これなら分別しないでごみを出す人はけっこう減るのではないでしょうか。 でも、そんなことをしなくても、ちゃんと自分の出したゴミくらい責任を持ってちゃんと分別して出してほしいものです。



04/11/25 18:36
No.96 田中知道

(21KB)
京都大学市民講座

 先日、京都大学で誰でも受講できる京都大学市民講座があり、京大まで行ってきました。テ−マは「悪くない人生だったな、と言って死ねるように〜ホスピスの意義〜」というもので、京都大学名誉教授でホスピスの院長をされている先生が話されました。 ホスピスとは、「死期の近い患者を入所させて,延命のための治療よりも,身体的苦痛や死への恐怖をやわらげることを目的とした,医療的・精神的・社会的援助を行う施設」(goo辞書より)です。 この講義で先生は、ホスピスは「死を待つ」場所ではなく、感謝と希望をもって、いきいきと「生きる」場所であるとおっしゃっていました。そしてそういった場所にするために、病院の雰囲気を極力なくして家庭的な雰囲気を作り出すために、木を使ったぬくもりのある家具を備えたり、ベッドから寝たまま池が見えるよう工夫したり、インターネットを備えたりなど、さまざまな工夫をしているそうです。 一番印象に残ったのが、「死を自然なものとして受け入れる」という言葉でした。
 死ぬことはやっぱり嫌で怖いですが、地球上の生物はみな誕生すれば死が待っています。いくら人間が高度な知能と文明をもっていても、その事は他の生物と変わりはありません。
 だから、死を自然なものとして受け入れ、この講座の演題にもあるように「悪くない人生だったな、と言って死ねるように」毎日精一杯生き、充実した人生を送りたいです。


04/11/24 18:19
No.95 田中知道

(28KB)
タバコ
 
 いつも嫌な思いをしています。マナーの悪い喫煙者に。上の写真のように、目立つように垂れ幕がかかっているにもかかわらず、キャンパス内を歩いていて、歩きタバコをしている人をしょっちゅう見ます。タバコをポイ捨てしている人、人が密集している場所でタバコを吸っている人もよく見ます。
 この前、この大学の教授までもが歩きタバコをしているのを見ました。わかりやすい講義でユーモアのセンスもあり、いい印象を持っていたので、ショックでした。学生に模範を示さなければならない教授がこのありさまでは・・・と、悲しくなりました。
 ふと思うのですが、BKCの喫煙場所は、なぜたくさんの人が行き交う建物の入り口付近にあるのでしょうか。タバコの煙を吸いたくない人のことをもう少し考えてほしいと思います。
 かっこいいタバコの吸い方だってあると思います。
「娘の結婚式。タバコのせいにして外へ出た」「誰かのことを考えるとき吸っている」「タバコがなかったら夜空なんて見上げなかった」テレビCMで見かけたJTのコピーです。
 タバコは責任を持った成人に許された嗜好品です。吸うときは、自分の満足だけを考えるのではなく、周りに目をむけて、かっこいいタバコの吸い方をしてほしいと思います。


04/11/22 17:58
No.94 中川ひろつぐ

(20KB)
卒業研究

 後期に入り、理工の卒業研究が忙しくなっていた。引継ぎで
行っている研究であるため、以前の先輩の論文やデータを見
る機会が多いのだが、どれもこれも自分仕様に整理してある
ため、なかなか思うようにデータが見られなかったり、思うよう
なデータが探せなかったりして、苦戦を強いられてきた。確か
に、自分のやりやすいように整理したりして研究を進めていく
のがはかどるだろうし良いであろう。しかし、最後に引き継ぐ
と決定した時点で次に研究を行う者のために分かりやすく整
理して欲しいものである。

 半分は愚痴であるが、半分はそれだけではない。ちゃんと
自分のしてきたことを示して残しておかないと、次の代の者
が再び今までやってきたことと同じ事をして非常に時間が無
駄になってしまったりし、引き継いだ意味がなくなってしまう。
挙句の果てに今までと違う結果になれば、今までの論文の
信憑性が問われてしまう。

 卒業するために研究をしているというスタンスで研究をして
いると自分勝手にそうなってしまうのかもしれない。特に私の
研究室は自分で勝手にテーマを設定できなく、与えられたテ
ーマを選ぶしかない。そのため、自分とそぐわない研究だと
やる気も起こらないかもしれない。

 卒業のために研究があるのではないと思う。社会のためで
もあるし、自分のための研究である。だから、研究をやりっぱ
なしにするのではなく、自分のしてきたことをしっかり示し、引
き継ぐ場合には後輩に堂々と残していかなければならない。


04/11/21 18:48
No.93 中川ひろつぐ

(17KB)
瓦屋根

 南草津から学校に行くまでチャリで通っているのだが、
最近多くの新しい住宅が立ち並んできた。レンガ造り
っぽい家などのように、外国にある家に似せた造りの
家が多く立ち並んでいる。ふと、屋根を見あげると全
て薄っぺらい屋根である。瓦屋根であるはずがない。

 いろいろなところに行く先々で最近屋根を見あげるこ
とが多い。というのは瓦屋根が明らかに少なくなってい
るからだ。最近出来た家のほとんどは瓦屋根ではなく、
板状の平らな屋根になっている。どうも迫力を感じない
のは私だけであろうか。平らな屋根は手抜な感じがす
る。逆に瓦屋根は日本的な堂々とした迫力を感じるの
である。

 私は16年程前に近所から新築のところに引っ越して
きた。写真はお向かいさんだが、このように壁はどうあ
れ、瓦はどの家も葺いてあった。当時は小学生の私も
含め、不動産屋も建築家もそれが当然と考えていたの
であろう。今現在、ふと瓦屋根が少なくなっていることに
気付くと、時代の流行というものを感じないわけには行
かない。

 現実問題としてコスト、機能などを考えると結果的にそ
うなってしまうのかもしれない。見た目的にも流行なのか
もしれない。しかし、もし私が家を持ったならば堂々とした
瓦屋根の家のほうが良い。

先日、瓦屋根を葺き替えている現場を目撃した。昔は良く
見たもので、久しぶりにこのような現場を目撃したような
気がした。


04/10/07 10:46
No.92 田中知道

(23KB)
運転免許
 この夏休み、僕は運転免許を取りに、月の○教習所に通いました。毎日のよ
うにキャンセル待ちをして、なんとか夏休み中に免許を取ることができまし
た。免許を取るにあたっていくつかの発見がありました。

 一番強烈だったのが、危険予測ディスカッションという学科での出来事でした。
 危険予測ディスカッションとは、ビデオに撮った自分の運転、他人の運転を
見て危険を予測しディスカッションするというものです。
 僕の危なっかしい運転も問題だったのですが、もっと問題だったのが、車の
運転と一緒に映っていた、バックミラーに映った僕の顔。
 なんと初めから終わりまでずーっと口をあけっぱなしでアホ面をしているで
はありませんか。
 教官とほかの教習生にも、その映像を見られたので、もう恥ずかしくて仕方
ありませんでした。ほかの人はちゃんと口閉じてるし・・・
 もしかして、就職活動で、面接に落ちまくったのもこのせいでは・・・?!
(他にもいっぱい理由はあったと思いますが。)」
 これからは、必要なとき意外は、口を閉じるようにしようと強く心に誓いま
した。

 次に気づいたことが、あたりまえですが、レーシングゲームが好きで、少し
得意でも、実際の運転にはほとんど役に立たないということです。
僕は、小学生のころ、○リオカートが大好きで、しょっちゅう友達とやってい
ました。リッジ○ーサーも大好きです。
 しかし、実際の運転は下手で下手で・・・。僕はミッション車の免許を取っ
たのですが、最初のころ(仮免取る前)は、エンストしてばっかで、教官に
「オートマにしたら?」と言われ、結構へこみました。
 仮免取る前は、結構補習を受けたので、追加料金のかからない○協の料金プ
ランは、ホント、助かりました。
 
 先日、かがやき通りの交差点で、事故を起こし、泣きそうな顔をした若い人
と、その人のフロントガラスに大きなひびが入ってしまった車を見ました。
 安全運転を心がけ、一生無事故、無違反でいられるようにしたいです。


04/09/29 18:48
No.91 中川ひろつぐ

(34KB)
歩いて思うこと

 先日、内定者懇談会のため東京ビッグサイトに行った。東京のお台場
にあるのだが、少々時間があったので付近を歩いてみた。歩道はきち
んと整備され歩きやすかったのだが、歩いていて気付いたのだが、い
たることころにゴミが落ちているのである。ゴミ箱はきちんと設置されて
いる。しかし、そのゴミ箱のほとんどはゴミで溢れていた。東京都かどこ
かが整備しているのだろうが、あまりにもひどく歩いていて気持ちの良
いものではなかった。

 夏が終わりに近づいてきたが、道のあちらこちらに雑草が生えてきて
いる。歩いていると良く分かるのだがあるところはきれいに草刈してい
あり、あるところは雑草が生い茂ったままである。京都市の場合、ほと
んどは市が草刈をするのではなく、町内会が草刈をしている(と思う)。
やはり、きちんと草刈がされている道は歩いていても気持ちが良く、逆
に草刈がされていない道は気持ちが悪く、早く通り過ぎたい気持ちに
なる。

 ゴミにしても雑草にしても、コミュニティがしっかりしていているかどうか
が現れるのではないだろうか。例えばうちの町内会は定期的に町内の
幹線道路の草刈を行っている。それは歩いていて気持ちが良くないか
らで、その道を大事にしているからである。お台場にしても自分の会社
の周りがゴミだらけで気持ち悪いと思わないのだろうか。コミュニティが
しっかりしていれば企業であろうが町内会であろうが、自分たちできれ
いにしようという行動に移せるのではないだろうか。


04/09/17 13:22
No.90 田中知道

(17KB)
タマちゃん

 少し前にヤ○ーの社会ニュースで見たのですが、どうやらあの流行語大賞にもなったアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」が姿を見せなくなって3か月がたち、東京湾の外に出た可能性があるそうで、これに対し、見守ってきた人たちは、「タマちゃんにもう会えないかもしれない」と寂しがり、タマちゃんを観察している「タマちゃんを見守る会」は「もういないのかもしれないが、メンバーの中には気持ちの整理がつかない人も多く、タマちゃんについて語り合う場として会を続けていきたい」と話しているそうです。
 このニュースを見て思ったのですが、もともと「タマちゃん」は北極圏〜亜北極圏に生息する動物で比較的北方に生息するアザラシで、本来気象条件などが異なる多摩川の環境はアザラシにとって好ましい状況とはいえず、そこを去ることができたのだから、本当に「タマちゃん」のことを考えたら喜ぶべきことではないのでしょうか。
 それを、動物園で動物を見るときと同じ感覚で、見れなくなったことが、「寂しい」「気持ちの整理がつかない」と嘆くのは、あまりに自己中心的でないのでしょうか。      たびたび、小さい子どもが、タマちゃんを見て、「タマちゃーん」と叫び、喜んでいる姿がニュースで流れたりしますが、こう言った子どもは、タマちゃんに関わる事情がわからないので、手放しで喜ぶのは別に構わないと思いますが、大の大人が同じノリで、タマちゃん、タマちゃん騒いでいるのは、どうかと思うのですが・・・



04/08/31 13:01
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