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No.226 山下 晴
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ここまで、ずっと前に書いてたのに‥今になってしまった。
写真は、たまたま乗った帰り電車と競争した電車だ。宴会ができるようだった。御座敷が電車に積まれたみたいだった。この電車にぜひ乗ってみたぃと思う。

05/01/11 11:43
No.224 佐藤星麗奈
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武士道

「武士道」を語る、こんなたとえを聞いた。
晴れた日に武士が日傘をさしているところを想像してほしい。
武士の知り合いが前から近づいてきたとしたら、彼はどのような行動をとると思うだろうか?
 1 相手に傘をさしだす
 2 一緒に入る
 3 自分が傘をたたむ
武士道に基づいた武士の行動は3なのだそうだ。
それはなぜなのだろう。

武士にとって1は、傘をさしだす事によって相手が遠慮し、それは自分の気持ちをケアすることになってしまい、相手にとって失礼だからそれはできない。2の、同じ傘に入るというのはあまりにも相手との距離が近くなりすぎ、相手に失礼になる。

自分が傘をたためば、相手と同じ境遇にたつことで一緒に辛い思いができる。それが相手との関係のためにもっとも適切だと考えて自分は傘を閉じる。
つまり武士は、傘というプロダクツの持つ機能を、陽を除くという機能のために用いるのではなくそれによって発生する人間関係のために用いるのである。
 これはプロダクトデザイナーの深沢直人さんが「デザイナーズカンファレンス」というイベントのなかで語っていた話だ。新渡戸稲造の「武士道」のなかで、深沢さんの好きなくだりだという。

「モノ」の機能以外の部分。
 
単に機能として果たされるということの裏側には膨大なものがある

また少し視野が広がった。



05/01/09 2:03
No.223 米山 充規
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2005年

ついに新年を迎えました。2005年です。今年は戦争、災害などがない平和な1年になってほしいものです。昨年は、2004年はイラク戦争、新潟地震、スマトラ沖地震、台風の被害などとおおくの災害がおこりました。そして、おおくの人が亡くなりました。悲しいことです。イラク戦争は終戦したといってもいまだに自爆テロなどが頻繁に起こっており死傷者がでています。早く平和な日々がくることを祈るばかりです。このようなこともあってか2004年を象徴とする1文字が「災」に決まりました。なんだか暗いイメージです。2005年はもっと明るい1文字になってほしいものです。文字だけでなく世界中の人々、もちろん自分自身も1年を振り返ったときにいい1年だったな、と思えるような年になってほしいし、そうなるように頑張っていこうと思った年初でした。
遅くなりましたが、
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


05/01/03 15:08
No.222 国定さやか
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帰省
冬休みということで、実家に帰りました。
実家は岐阜で、電車で米原方面に向かいます。南草津から岐阜へ向かう途中の景色といったら‥。それはそれはのどかで、ぜひ一度見てほしいです。一面に田んぼが広がっていて、山を越え川を越えのんびり行きます。
地元の駅まで友達が車で迎えに来てくれたので、それからドライブをしました。見たい景色があったので、友達に寄ってもらいました。それは長良川の堤防です。長良川を知っていますか?木曽三川の一つで、鵜飼で有名な川です。堤防から臨む長良川はとても美しいです。夕暮れ時や、鵜飼の時期が特にお勧めです。
地元に帰ると、市民公園の側に「冬ソナロード」なるものができていました。冬ソナのロケ地と、うちの市(各務原市)が姉妹都市で、ドラマに出てくるあの並木道を再現してしまったんだそうです。イルミネーションが地味にキラキラしていました。これはあまりお勧めしません。
地元にいるときは空気のような存在だったけど、街の景色も自然の風景も、勿論家族や友達も物凄い癒しパワーを持っているなと感じた冬休みでした。



04/01/02 10:40
No.221 栗波 ちひろ
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thanks to you all 2004

早いものでもう2004年が終わろうとしています。
去年の今ごろは、何をしてたかな・・・
年末とか何かの終わりと何かの始まりにはよく人は過去を振り
返って反省します。今回は私も一人で勝手に2004年の反省会を
したいと思います。

今年私にとって大きかったこと。
一人暮らしを始めたこと。
このことで本当にいろんなことを学んだ。
誰もいない、自分しかいないのだから全て自分でやらなければ
いけない。誰も迎えてくれない。誰も送ってくれない。
そして寂しいのにも慣れなければならない。
私は末っ子だし、なんだかんだ言って非常に自分のやりたいよ
うにいろいろやらせてもらってきた。きっと一般的に恵まれて
いたし過保護気味に育てられたこともあって、人よりも甘った
れだと思う。
しかし、京都のうちには誰もいない。
一人暮らしを始めて二日で帰った。
親とか兄弟の存在の大きさに気づいた。ひとりでいたくないよ
うな日、すごく会いたくなる。
でも、同時に離れていることで自分がどれだけ大事にされてい
るかも分かった。連絡を怠ったりして心配をかけても、どれだ
けお金を使いすぎたことがあっても、体の心配や食の心配をし
てくれる。兄も一人暮らしをしているが、兄もよく一人暮らし
で今までやってきたなぁと感心する。
やはり、まだまだ一人立ちはできない。
いつも心配ばかりかけている怠け者の娘だけど・・・
年の終わりにいつも思う。このうちの子でよかった。
さてさて、今年ももう直ぐおしまい。

今年もいい年だったな。
来年は少しは成長しよう。
心配かけるんじゃなくて安心させるように。

最後に、今年は本当に目を覆うよな事件が多かった・・・。
ひとりひとり全部覚えきれないほど。
その人たちひとりひとりが安心できるような世の中になってほ
しいと切に願う。

写真は今年最後の夕焼け

04/12/31 18:53
No.220 野口 陽平
 年の終わりに

 「門松や冥土のたびの一里塚、めでたくもあり めでたくもなし」その昔、大徳寺の一休禅師はこの言葉でと一日一日を精一杯生きることの大切さを教えています。考えてみれば人は生まれた日から死への旅をはじめることになります。そしてその旅路はこの世にいきとしいけるものすべて許された旅路とも言えます。この世には理不尽なことがたくさんあります。法のもとの平等を唄ったところで皆すべてが実際に平等などと考えている人はいないでしょう。怒りをもっていきている人が大半でしょう。しかし、死は平等に訪れます。どんなお金持ちにも、権力を手にした人にも、科学者にも、貧しい人にも、有無をも言わせぬ力でねじ伏せていきます。漠然と死を受け入れていたとしてもある日突然、戦争や事故によってその命を絶たれた時、本人はもとよりその家族、友人がその死を受け入れ自分の生きる過程とするまでにたくさんの時間と愛情が必要となるでしょう。けれども、受け入れられずにそのことばかり考えて生きたとしたら日々怒りと虚しさだけの生活があるのみでしょう。去っていった人たちは僕達に命をつなぎそして私も去るとき命をつなげてから逝きたい。そういえる 人生を過ごしたい。今年ももうすぐ終わります。何が変わるわけもなく、私自身が生まれ変われるわけでもありませんが気持ちを新たにするには結構いい区切りになります。たぶん、一休和尚もそんなことを思われたのではないでしょうか。さぁて大掃除をはじめましょうか。部屋と心の。


04/12/30 14:03
No.219 池田 裕子
I was glad to see you!

 その知らせは宴の最中に届いた。高校三年間、共に学び共に笑い共に泣き、時には言い争った同級生の死。
―嘘やろ?なぁ嘘やろ?なんで?なんでなん??もう起きるんちゃうかったん!!!
 ウチには受け入れられなかった。受け入れることが出来てたら、あんなに平静を装えなかった。同じクラスにこそならなかったけど、友達の彼氏で、よく知った人。ひょうきんでみんなから好かれる性格。男バレで、スパイク打つ姿がほんまかっこよかった。彼が事故にあったのは一週間前。脳挫傷で意識が戻らぬまま、ウチらを置いてけぼりにしていった。
 You left me so suddenly. Only your smile remains…
ウチはめちゃ仲間意識が強くて、結束を大事にする人。やからずっと何かを想い続けたりするんやけど・・・やから仲間が目の前からおらんようになることが、ほんまに耐えられへんし受け入れられへん。お焼香のとき、ウチは遺影をみて泣き崩れた。写真の中で彼はウチらに笑いかけてた。「お前に泣き顔は似合わんで。お前には笑っててほしいねん。」そんな彼の口癖が聞こえてきそうやった。こんな形で大手前生が集まることになるなんて思ってもなかった。スーツ着てちょっぴり大人になったみんなに。でも!あんたの死は無駄にはせえへん。医者志す仲間がここにはいっぱいおるねんし、彼らが絶対治療法見つけてくれる。あんたのことやから、きっとそこまで計算済みなんやろ?ウチらに課題与えてくれたんよね?ほんまあんたは幸せもんや。みんなみんな集まってくれて。まだまだ未熟なウチらやから、ちゃんと見守っててや!あんたに逢えてほんま良かった。

現実を直視出来るようになったら、コラムらしいコラム出しなおします。今はこれが精一杯です、ごめんなさい。

添付:1104165942-.[1](15KB)

04/12/28 1:45
No.218 小山佑也
(40KB)


今月一番強く心に残ったこと
バイト帰りの電車に乗り込んだ時にこんな車内放送が流れた
「ドアが開きます。右側のボタンを押してください」
異様なアナウンスだった。ドアは閉まっているのである。しかもそのアナウンスは何度も何度も繰り返していた。
「ドアが開きます。右側のボタンを押してください。ドアが開きます。右側のボタンを押してください。。。。。。」
この現象に関する車掌のアナウンスを聞いたあと、得体の知れない気持ち悪さを覚えた。実はこの電車は人身事故を起こし遅れの出ている電車だったのだ。そしてその際に放送機器が故障したというのである。実際に見たわけではないが、放送機器が壊れるほどの人身事故ならきっとはねられた人は亡くなったに違いない。だからこの車内放送はその魂の消滅の瞬間を伝え続けているようで気持ち悪かったのだ。絵やら音楽なら、今はもう死んだ人のものは芸術としてその人のすばらしいメッセージを世に伝え続けるものとなるが、この車内放送はとても空しいメッセージである。人をはねたのに何もなかったかのように走り続ける電車、そのなかでおかしな車内放送をあざけ笑う高校生たち、、、
今日は12月の末日。
死にたいほど悩んでいる人は電車に飛び込まずに1月まで辛抱して欲しいと思う。報われない死なんてあまりにも空しすぎるからである。
コラムでは環境、デザインがらみのことを書こうとしてきたが今月一番心に強く残ってしまった事柄を書かないわけにはいかず今回はこんな内容になりました。
次回はデザインについて書きます。
 
 


04/12/28 0:20
No.216 神家 佑佳
(29KB)
韓流ブーム★
最近何かとテレビやワイドショーで韓国の話題が取り上げられています。その度に本当に日本と韓国の交流が盛んになったことを嬉しく思います。
韓国の話題がテレビで取り上げられると、高校2年の時の修学旅行を思い出します。
2年前、私たちの学校は修学旅行で中国に行きました。これは、母校にとっては画期的な出来事でした。当時、アメリカでのテロ事件の関係で危うく中止になりそうでしたが、何とか行けることになりました。チャーター機を手配し、中国への出発を楽しみにしている頃でした。親友が中国行きの修学旅行について悩んでいました。私は彼女が何故悩んでいるのか分かりませんでした。出発を前に彼女はその悩みを打ち明けてくれました。中国行きの修学旅行はパスポートが必要で、韓国国籍の彼女は入国の際の手続きを嫌がっていました。私はその時初めて彼女が韓国の国籍であることを知りました。正直私は、内心では驚いていました。彼女との付き合いはもう5年近くにもなり、何でも話合える関係でした。でも、私は彼女が日本国籍でなく韓国国籍であるという事実をためらうことなく受け入れたことを覚えています。むしろそれが当たり前のことだと思っています。彼女が韓国国籍であるということは私と先生しか知りませんでした。修学旅行当日、中国に入国する際、私たちはクラスごとに日本国籍の団体として入国させられました。しかし、国籍の違う彼女は私たちとは違うゲート で入国しなければいけませんでした。その時、私は彼女の寂しそうで不安げな表情になんと声をかけてあげれば良いのか分かりませんでした。私は今でもその事が気がかりで後悔しています。センター試験の受験票も、彼女の名前は日本人としての名前ではありませんでした。友達に受験番号を聞かれることを嫌がっていました。そんな姿を見て、私は日本と韓国との関係についてよく考えさせられました。今は、日本は韓国を大いに受け入れています。私は韓流ブームだけでなく、本当に韓国と日本との交流が継続することを願います。彼女が胸を張って堂々とハングルの名前を言えるような時代が来る事を願います。
そんな彼女も2月から1年間中国に留学します。親友として心から彼女を応援したいと思います。彼女が日本と中国、そして韓国との架け橋になることを期待したいと思います。このコラムを読んでいる人も、もし自分が彼女の立場なら、または私の立場ならどうしますか??異文化を身近な存在として考えてみてください。


04/12/20 20:17
No.215 淵崎 亮
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今、ロシアがキてる!!!

今、空前のロシアブームが巻き起こっています。
もう、ものすごい勢いです。
韓流なんてめじゃないです。

まぁ、といっても僕の中での話なんですけどね・・・。

みなさんはロシアにどんなイメージを持っていますか?
寒そう?
お酒に強そう?
僕もついこの間までそんなにロシアに興味があったわけではないんです。
っていうよりもまったくなかった。
近所の国であるにもかかわらず、ぜんぜん興味なんてなかったんです。

それが今や、空前のブームが巻き起こってるんです。
(あくまで僕自身の中だけですけどね)
その発端となったのがこのカメラ。

  LOMO LC=A  です。

これですよ、これ。まさにロシアブームの火付け役!!

そもそもなぜこのカメラに惹かれるようになったかというと、今年の8月ごろカメラを買ったんです。
中古で4,800YEN。
高校の時の中のいい先輩が古いカメラを持っていて、写真自体じゃなくてそのカメラのフォルムに惹かれまくって僕も買ってしまったんです。

その後、その中古カメラで写真を撮り始めて4ヶ月。
今度はだんだん、カメラのフォルムに向いてた興味が、写真自体に向いてきたんです。
そこで出会ったのがこのLOMOカメラ(ロシア製)だったのです。

このカメラに感動したのはその手軽さと、その写り、そしてなによりもその自由さ。
濃いコントラストと、ロモ・トンネル・エフェクトという独特の効果が生み出すその雰囲気は、僕にとって最高級なものだったんです。

もう、今すぐにもほしくてほしくてたまりませんでした。
何度も買おうとしたんです。
けれどこのカメラ22,000YENもするんですわ。

買えないよ・・・。
すぐには無理だよ・・・・。

っていうことで、現在このLOMOカメラのためお金を貯めています。
次のバイトの給料日にババーンと行きます!!
買っちゃいます!!!

たぶんね・・・。
たぶん今月には買えると思うんだけどね・・・・。

http://www.lomo.co.jp/

04/12/15 3:12
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